読んだ本「アダルトチルドレンから自由へ」がめちゃ面白かったけどひねくれて生きてきてしまった私には大変刺さる本でした
AmazonのKindle Unlimitedに加入している。
加入しているというか、格安のお試し期間が過ぎてそのまま課金されているという感じ。「お試し」の魅力的な罠の仕組みを理解しながら、日常の煩瑣なあれこれにまぎれて無料期間が終了し、いつのまにかぬるりと優良期間に突入している。
でも、kindleは電子化されている本ががたくさんあるし、Unlimitedに入っている本の種類も多い。ここでしか読めないオリジナルの本も結構あるからひと月980円ならまあいいか、などと考えて確信犯的に放置してある。食べ物や衣料品のサブスクはぜいたく品だと思って利用したことないのに、映画や本のサブスク利用はなぜか「教養」「自己投資」などという名分で自分の中でOKがでてしまう。同じような人も多いんじゃないだろうか。
今日も元を取るため、以下の本を読んだ。
沢瀬直太朗さんの「アダルトチルドレンから自由へ」という本。
Amazon.co.jp: アダルトチルドレンから自由へ eBook : 沢瀬直太朗: 本
先日、人から「私、アダルトチルドレンかもしれないんですよね」というような話をきいたのがきっかけだ。アダルトチルドレンってなんだっけ、なんとなく親が問題で自分がない人、みたいなイメージだけど合ってるんだっけ。お昼ごはんを食べた後ネットサーフィンをしながらふと思い出し、本を読んでみようと思ってダウンロードした。
著者の沢瀬さんは心理カウンセラーで、自身もアダルトチルドレンとして悩んだ経験の持ち主である。だからだろう、説明も懇切丁寧でわかりやすく、まるで目の前の人に話しかけるような文体で書かれていて親しみやすい。実例や具体的な改善行動などにも言及していて、よくある「原因解明は徹底的にやるのに今後どうすればいいかになったとたんに抽象的になる」みたいな心理学あるあるの本ではない。自分の経験を直伝するために書いた、という意気込みは、始まって最初のページからも読み取れる。
太字で2行だけ。
「突然ですが、どうしてもあなたに伝えたいことがあります。
あなたには物凄い価値があります。」
アダルトチルドレンに苦しむ人を救おうとする情熱に、冒頭から引き込まれる。
章の構成としては、
はじめに
第一章 アダルトチルドレンを克服する方法
第二章 幸せになる方法【1】
第三章 幸せになる方法【2】
第四章 幸せになる方法【3】
第五章 アダルトチルドレンから自由へーー
あとがき
となっている。
第一章ではアダルトチルドレンや幸せとは何か、といった定義の部分の説明とともに、それでもそのまま幸せになれるよ、大丈夫だよ、というメッセージが語られる。
第二章~第三章では、場面によって出てくる課題に対してどのようにアプローチし、行動し、改善していくかを説明。
第五章では実際に行動することの大切さや、ひねくれてしまった考え方、価値観、感情の処理方法などについて述べている。
私自身も、親が原因かどうかは微妙だが、セクシャルマイノリティとしてひねくれて生きてきてしまったがためにアダルトチルドレン的な性質はかなりあると思う。
マイノリティとして異質性を自認せざるを得ない中で、マイノリティであること=劣等、弱い立場、といった間違った認識をもって生きてきてしまった私。後天的に得られる「価値あるもの」で武装すれば強く幸せに生きられるのではないかと思って、頑張らなくてもいいことまで頑張ってきてしまった。ちなみにここでいう「価値あるもの」とは、学歴とかお金とかいった所謂社会的ステータスに直結するもろもろである。
でも、気付いちゃったのだ。
これって私の物差しではかった結果、価値があると思ったものじゃないよな、と。
社会一般の物差しで「価値あるもの」としてはかられたものだよな、と。
これに気づいてしまった時の感覚と言ったら。絶望感と言うのか徒労感と言うのか、自分の足許がぐらついて地面が斜めに傾き、砂や石ころとともに暗い空間の底にザラザラ~っと滑り落された感じ。自分の物差しだと思って握っていたものが別人のものだったなんて。
いつも感じていた、何かに追われているような焦燥感はこのせいだったのだ。社会通念上の「価値あるもの」を獲得しないと自分の存在価値を失うという不安に駆り立てられていたのだ。
だから『アダルトチルドレンから自由へ』を読んだとき、
「幸せな人は受験勉強をしている時も、就職活動中も、夢を追っているときも、もうすでに幸せなのです。」
と書いてあるのを見て思わず声にだして「ウワッ」と言ってしまった。ひとりなのに。
その一文にしっかりラインマーカーをし、読み進めた。その後もラインマーカーを引いた個所は40近くにもなった。
そのほか、個人的「ウワッ」な部分は以下である。
「なぜそんなに優れていたいのかと言いますと、優れていないと愛されないと思っているのです。そして、愛されたいから、優れた人になろうと色んな努力をします。(中略)どれだけ凄くなってもまだ足りません。いつも今の自分では未熟なのです。」
→これは私も学生時代の時に気づいたなあ。それ以降、周りの人に対して自分の弱みを隠さないようになった。
「劣等感とは、実は違うのではないかと期待している状態のことをいうのです。」
→テレフォン人生相談の加藤諦三の決めゼリフ感があっていい。つまり、自分で人より劣っているところがあると頭では理解しながら、受け入れられてはいないということ。グッときます。
「威張らないし、自慢しないし、誉めてほしがらない。ただ得意なことで人を助けてあげればいいのです。最高に魅力のある人になりますから。」
→ハイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
「ずっと続く恐怖って、おかしいです。ずっと漠然と今のままではダメだって思うのは、以上です。そんな恐怖、間違いです。」
→えっ、そうなの????って感じ。ほかの人はこの、何かに追われる感じって持っていなかったのか…ということに驚く。
あまり長い本ではないので、悩める人が居たら是非読んでみてほしいと思う本だった。
ひねくれた思考を矯正するには、「私は優れている」と1万回声に出して言うのが良いそうなので、とりあえずマスクの中で
「私は優れている…私は優れている…わたしは…」
とブツブツつぶやきながらチャリを漕いだ1日でした。